戦後70年特別企画 ニシムイ展~太陽のキャンパス~

戦後間もない頃(1948年)、現在の那覇市首里儀保町に主に東京美術学校(現東京芸術大学)出身等の画家たちが集い、美術村がつくられた。いわゆるニシムイ美術村の誕生である。戦争により、自然や文化までが焼き尽くされ、変わり果てた沖縄の状況を憂いながらも、画家たちは戦後沖縄の文化や美術の復興に奔走した。

物資や食料がない混沌とした時代に、画家たちは米軍将校の依頼に応じ、肖像画を描き生活の糧を得ながら、独自の芸術活動を展開した。何もかも焼き尽くされた敗戦後の沖縄は多くの島民が米軍からもたらされた物資に頼らざるをえない時代であった。そのような中、米軍相手の絵画の販売(当時は物々交換)は、画家にとっては重要な収入源でもあった。将校等は文化レベルが高い沖縄の芸術家に驚き、絵を求めてニシムイに通う者も多かったという。さらに、絵を習うなど交友関係も生まれた。

また、画家たちは、沖縄美術展(沖展)の立ち上げに携わり、戦後沖縄の文化活動や美術工芸界の指導者として牽引した。その他、鎮魂碑の建立や琉球切手のデザイン、旗頭の製作などにも関わった。戦後70年が経った今日、ニシムイをとおして、改めて戦後沖縄の芸術、文化を検証する展覧会とする。

nishimui